ラホール(Rahore)
ラホールの魅力と言えば美しい風景が有名です。特に有名なのがラホール城で、白大理石がふんだんに使われ、17世紀の代表的な建造物として観光客を集めています。そのため、1981年「ラホール城とシャリマール庭園」という名前で世界遺産に登録されました。 バンコクから飛行機でラホールに夜10時頃到着した。イミグレーションに来ても、旅行者のカウンターはほとんど人がおらず、パキスタン人用のカウンターには長蛇の列だった。ビザを日本で取得していたので何の問題もなくイミグレーションを通過することができたのだが、観光客の少なさにかなり驚いていた。 初めて訪れる国ということもあり、不安と緊張が入り乱れていた。夜遅いということもあり、安心して泊まることのできるYMCAへ空港からタクシーで向かうことにした。しかし、YMCAは満室。仕方なくタクシーの運転手に紹介してもらったホテルへ行くことにした。初めてのパキスタンのホテルということで、「どんなのかな?」っていうのはあったのだが、右下の写真のように想像よりきれいで安心した。 翌朝、町にでると上の写真のように靄がかかっていた。昨晩は暗くて全然見えなかったのだが、なかなかきれいな町だった。おなかがすいたのでどこかで食べようと町を歩いていてもレストランや屋台が見当たらない。「何て不便な町なんだ!」とみんなで言っていたのだが、パキスタン人に話を聞いていると衝撃的な事実が分かってしまった。何とラマダーンだったのだ。ラマダーンとはイスラム教の断食月で太陽の出ている間、飲み物や食べ物を口にしてはいけないのだ。ついていないというよりも自分たちがそこまで確認をしていなかったことが情けなかった。でも僕らは諦めず、マクドナルドを探すことにした。世界のどこにでもあるマクドナルドなんだから絶対に開いているという考えがあったからだ。ところがイスラム国の恐ろしいところで、マクドナルドであろうが閉まっているのだ。 朝ごはんは諦め、ホテルに戻ることにした。ホテルで僕らは話し合い、ラマダーンは仕方がないので、夜ごはんをしっかり食べ、飲み物だけはリュックに備えておくことにした。僕らはホテルをチェックアウトをし、町の中心にある郵便局へ向かった。 何と郵便局の前で日本人親子にあったのだ。パキスタンで日本人に会うとは思っていなかったので少しうれしかった。親子と話をしてみると娘がペシャワールで留学をすることになり、アパートを探しに来ているということだった。なぜまたペシャワールという治安があまり良くないところへ行くのか不思議だった。郵便局の前には昨晩満室だったYMCAがあり、少し覗いてみると日本人が4人いた。彼らも留学でラホールに来ているということだった。 僕らはラホールを先に観光する前にハラッパ・タキシラを見に行く予定だったので、バスターミナルに向かった。バスターミナルで次の目的地ハラッパ行きのバスを尋ねるとそれはバスではなく、12人乗りのワンボックスカーだった。車は定員いっぱいになっているのになかなか出発しない。運転手はもう車には乗れないのに乗客を呼び集め、どんどん車に詰め込むのだ。結局出発する頃には倍以上の26人乗っており、窮屈で身動きがとれない状態で4時間も過ごすことになってしまった。 3日後、ラホールへバスで夜6時頃に戻ってきた。いくつかホテルをまわったのだがどこも料金が高く、1時間くらい探した結果、ラホール駅前にある「UGANDA」というホテルに決めた。料金は3人で280Rs(約840円)。ラホール駅周辺のホテルは泥棒宿が多いという情報はあったが、全く気にすることなく宿泊することにした。 ホテルの前にある屋台で今日初めての御飯を食べに行くことにした。パキスタンに来て4日目になると晩御飯1食という生活にも慣れてきた。ここで食べた鶏肉のバーベキュー炒めは本当においしかった。写真は海外旅行の魅力のコーナーにあります。 翌朝、リキシャーでラホールフォートに向かった。ラホールフォートは旧市街地にあるため、城壁をくぐり、生活感のある下町を抜けると城砦が見えてきた。世界遺産ということもあり非常に大きい。けれども外国人観光客は僕らくらいで、パキスタン人観光客がほとんどだった。中に入ってみるとその大きさが実感できる。すべて見るのに2時間くらいかかった。 その後に行ったのがバードシャーヒー・モスクだ。このモスクは10万人が1度に入れるという世界最大級のモスクなのだ。礼拝日ではなく、外国人観光客が少ないということもあり、ほとんど人がおらず、ゆっくり見学することができた。 翌日、インド入国予定だったので、夜にホテルのご主人にインド入国のための情報を聞いた。バスで2回乗り換えるとワガーという国境の町まで行けることが分かった。けれどもどこで乗り換えていいのか分からないので、ホテルのご主人にウルドゥー語(現地の言葉)で僕らの乗り換え場所を紙に書いてくれた。 翌朝AM5:30に起き、教えてもらった場所からバスに乗って国境へ向かった。ホテルの人に書いてもらった紙を運転手に見せると、乗り継ぎ場所で降ろしてくれて、迷うことなくワガーに到着した。ワガーから歩いてイミグレーションまで行くことができたのだが、朝8時ということもありまだ閉まっていた。どうやら9時に開くとのことだった。 イミグレーションが開くまで眠かったのでみんなコンクリートの上で横になっていた。その時、僕は約1週間滞在したパキスタンという国を振り返っていた。僕の友達には旅行好きが多いのだが、パキスタンへ行ったことのある人はいなかった。どうやら危険や貧しいなどのイメージを持っているようだった。実際に訪れてみると危険でも貧しくもない国だった。困っていると声をかけてくれたり、パキスタン人と一緒に話をしているとチャイ(紅茶)をおごってくれたりもしてくれる。また、観光客があまり来ない土地柄もあるせいか、外国人に興味を持っているのだ。だから騙そうなんても思ってなさそうだった。 日本人は思い込みにより、知らない国まで勝手に「こういう国だ」と判断しているところがあると思う。けれどもパキスタンを訪れることによりそんなことはないと思った。この旅は卒業旅行で、就職するのでしばらくは海外に旅行することはできない。けれども、長期旅行できる休みが取れたなら本当に自分の行きたい国、興味のある国へ行ってみたいと思った。 僕らが今から入国しようとしている国はインド。日本にいると「インドは汚い」「インドは貧しい」などいろいろな情報を聞いていた。けれども、そういった思いや判断を捨て、僕らはパキスタンをあとにした。